町のしごと①

① 田中箔押所さんvol.03

ひとつひとつの素材を見極め、
高品質な手しごとを、次の世代へとつなぐ。

田中箔押所さん

田中箔押所のある小島町には、旧小島小学校(現台東区デザイナーズビレッジ)が、昭和3年の竣工当時以来のモダンな姿のままに佇みます。
田中箔押所のある小島町には、旧小島小学校(現台東区デザイナーズビレッジ)が、昭和3年の竣工当時以来のモダンな姿のままに佇みます。

田中箔押所さんは、カキモリから5分ほど歩いた台東区小島町にあります。
周辺には、提灯商、活字販売所など何代も続く商いも多く、1階を仕事場、2階を住まいにした、昭和の家内工業の風情を残す職住一体の会社さんが今でも点々と立ち並びます。


田中箔押所は、3代目となる田中社長の曽祖父が大正時代に創業した会社です。
84歳の会長は今でも現役。仕事場には毎日、黙々と作業を進める会長の後ろ姿が見えます。
カキモリの“名入れノート”は、会長の担当です。自ら活字を拾って組み、「ネコ」と呼ばれる古い手動の箔押機を使い、ひとつひとつ加減を調節しながら箔押しをします。



「ネコ」という呼び名は、木製のハンドルが猫の手のように見えることからついた名前だそうで、他にも「ダルマ」と呼ばれる機械もあります。
「ネコ」という呼び名は、木製のハンドルが猫の手のように見えることからついた名前だそうで、他にも「ダルマ」と呼ばれる機械もあります。

あの頃は帽子姿のおしゃれな人が
多かったね。



「私が小さな頃は、大人は皆中折れ帽を被ってて、ソフト帽とも言うな。ほら、麻生さんが被っているの。この辺はその生産地で、そのタグに箔押しをしてたもんだ」と、会長。
現在、その材料がほとんど樹脂となってしまった金箔も、当時は本物の金を使ったそうです。
「あの頃は、余った金箔を収集にくる業者がいて、それだけでも随分なお金になったもんだ。」


台東区は昔から帽子が主要産業でした。高度経済成長期からバブルへと続く昭和の時代、この地域では帽子以外にも、財布、靴、手帳、函など様々な製品を作る会社が軒を連ね、日本中に製品を送り出していました。
やがて、日本の大手メーカーが、より安く、より大量にと、軒並み生産の現場を海外へと移す中で、櫛の歯が欠けるようにこうした町工場は数を減らし、町には淋しげな気配が漂うようになりました。
しかし、田中箔押所は、昔ながらの職人仕事で、素材や形に合わせた手作業をすることで、高い品質を維持する、今では貴重な存在となりました。

田中さんの仕事場はいつ行っても忙しそうです。それは、丁寧な手作業を小ロットでも受けているからだとか。
田中さんの仕事場はいつ行っても忙しそうです。それは、丁寧な手作業を小ロットでも受けているからだとか。

100年続いたからね。
次の100年続けることが目標。


田中さんに今後の目標を聞いてみると、シンプルだけど一番困難な回答をさらりと笑顔で答えてくれました。


田中さんには箔押しのことはもちろん、人生や仕事をする意味についても教わっています。
「日常で使われるモノを作る職人であること、伝統工芸の職人にはなってはいけない」。「昔のやり方に固執せず、若いつくり手にも頼ってもらうために現在を学ぶこと」。


田中箔押所のお昼は、社長が職人全員の分を作り、毎日一緒に食事をとります。昔の町工場ではよく見かけた風景ですが、食の選択肢が増えた現代に於いて、それを続けている会社さんの話を聞いたことがありません。
一方で、年季の入った仕事場の片隅には最新のiMacがあります。古くとも良いものは残し、新しいものに偏見を持たない。それも会社が長年続いて来た一つの要因かもしれません。



会長と田中社長
会長と田中社長

カキモリはまだ8年目。
身近に先輩たちの背中を見ながら、そして頼りながら、田中さんの確かな手しごとを通じて、「手で書く」楽しみを次の世代へとつなげてゆきたいと思います。